拙著「徳島の寺子屋」がAmazon販売となりました。 [近世文書]
ずっと前に紹介した拙著、
徳島の寺子屋がAmazonで販売されるようになりました。
いきさつは、国立国会図書館へ一冊献本してありましたところ、
その拙著をさるデジタル出版社が目に留めてくれたのが
ことの起こりです。小生の依頼から4か月を経て、Amazond
で、デジタル本として発刊されました。
その表紙です。
調べていきますと、日本全国で、多少の高低はあるものの、
徳島同様の寺子屋教育が進行していることが分かりました。
これを見て頂くと、自分の住まう寺子屋の大凡が分かります。
このデジタル本の発刊で、希望しさえすれば世界のどこで居ても、
見ることが出来るようになったことを有りがたく思っています。
現に、カイロやベルリンで住む知人の目にも閲覧してもらいました。
で、昔の子どもたちが受けていた教育に少しでも興味がありましたら、
Amazonで「徳島の寺子屋」検索していただくと有りがたいです。
くれぐれも「寺小屋」と入れないでください。小屋ではありま
せん。「寺子屋」です。()
皆さんの健康・幸せをお祈りいたします。
ご訪問ありがとうございました。
寺子屋雑抄 [近世文書]
先の読書の続編です。
「川柳絵本柳樽」
古川柳を見ていますと、面白いことが分かります。
三尺下がって師の影を踏まずとか。ここでは生徒が師匠が見えなくなると
人形を描いて遊びだすという風景です。
「師のかげを 七尺去ると 人形書き」
「てならい子 かへると鍋の ふたをとり」
寺子屋では、手習子は、昼まで勉強すると昼ご飯を食べに家に
帰っていたそうです。ですから、この川柳です。
「妻めかけ、少しはよめる 唐詩選」
寺子屋とバカにするなかれ、です。唐詩選が読めていたんです。
小生は読めませんから・・・・。
寺子屋って凄いと分かります。
皆さんが幸せで健康でありますように。
(ご訪問ありがとうございました。)
古文書の噺 下 疱瘡・はしかの薬 [近世文書]
渡来象の始末。吉宗の上覧した後、見世物に。
しかし、営業にはならなかった上、この象の餌代や
維持管理に年間200両も要したので、早く民間に払い下げたい
意図があったようですが誰も手を出さなかったとか。
この頃、麻疹や疱瘡が流行っていたのだそうです。
このタイミングで中野村(中野区)の3人の百姓が、象の糞の
黒焼きをこの病気の特効薬として売り出したいとの
願書きが出されたのです。それがこの文書です。
この薬を「象洞(ぞうほら)」名付けて売り出したそうです。
一服10文でしたが、これも採算が取れなかったようです。
この象は江戸に来てから、14年間生存。その象の骨も
見世物にされますが、これも利益を上げることが出来なかったとか・・。
象自身は、手厚く厚遇されましたが、それを取り巻く人間共には
さしたる利益を生まなかったようです。
しかし、享保時代の人々でこの珍重な動物を目にすることが
できた人々の大きな感動を与えたという事は間違いないですね。
皆さんが幸せで健康でありますように。
(ご訪問ありがとうございました。)
古文書の噺 中 象が来た [近世文書]
1729年に長崎から江戸に、象が来たというのは
驚きです。将軍吉宗は、実学家だったそうでしたから、
南国では、象に軍事機能があることに目を付けたとも
書かれています。(権威の誇示とも)。
それにしても、象なんか知らない人が移送に当たるのです
から非常な苦労をしたことでしょう。
そのため、飼い葉の内容や量、小屋の大きさや造りなど
事細かく指示を出しています。
庶民にとっても奇異な動物ですから、噂を聞いて
見物にくる人も大勢いたことでしょう。
このことに付いては、上の赤い囲みに「見物に出てくる
のは苦しからず」と書かれています。
ま、面白い事が江戸時代にあったんですね。
つづく
皆さんが幸せで健康でありますように。
(ご訪問ありがとうございました。)